最近、私のTwitterのTL上で「熱血」や「鬱展開」という言葉で作品を一括りにすることについて熱い議論が交わされています。面白いなと思ったので私の考えをちょろっと書いてみようかと思います。で、結論から言うと「雑にカテゴライズしてもいい」と思ってます。例えば、グレンラガンを熱い展開だけみて「熱血アニメ」と称してもいいし、ファフナーを人がたくさん死ぬから「鬱アニメ」と言ってもいい。
いやね、そういう作品の一側面だけを見て雑なカテゴライズをされるのが嫌ってのはわかるんですよ。わかるんだけど、別に誰が何を思っても良いよねって話。なぜなら、作品の受け取り方は人それぞれであり、どんな楽しみ方をしても良いと思っているからです。
極論を言えば、鉄血本編を見ずに「止まるんじゃねえぞ…」のシーンだけみて「クソアニメ」と笑って盛り上がっても良い。それが自由というものでしょう。腹立つけど。スパロボでしかボトムズ知らない人が「むせる」って言ってたら割とうざくない?俺も本編見てないけどさ。そういうことだよ。
で。なんで雑なカテゴライズが嫌がられてるのかって考えると、やっぱり濃いファン…ようは「オタク」だからなんだと思うんですよね。オタクは強いこだわりがある故にオタクだと思うので、表面上だけなぞったような評論とかが嫌なんじゃないかなという勝手な推察。だから、「この熱いシーンに至るまでに○○という過程があって、だとすればこれを単純に熱血アニメというのは…」みたいになるんじゃないかと。
別に、それが悪いという気は全くないんですけどね。むしろ、骨の髄まで作品を楽しめたり、製作側の意図などを読み取るというのは上級の楽しみだと思うのですよね。アニメって受動的な娯楽で、消費するものじゃないですか。それをただ消費するのではなく、自分なりにメッセージを咀嚼して議論する。Twitterを見てると当たり前のように見かける光景ですけど、高度な楽しみ方ですよね。
…と、なんか最初から話がずれまくってる気がするけどまあいいか。誰もネットの末端にあるこんな記事は見てないでしょう。見てる人も寛大な心で許しておくれよ。最後にもっかい結論をまとめると、「雑な語りもまとめも悪ではない。というよりそんなものに善悪はない」ですね。好きに楽しめばええやんな。もちろん、他人への押しつけはNGだけどね。